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参院選、知事選知る権利の劣化か

参院選、東京都知事選と大きな選挙が続いた7月だった。
本紙は、そのどれもに選挙現場に多く入った。
ただ両者の選挙共に本来選挙で有権者に問われるべき「重要争点」が争われなかった。
参院選の争点は「アベノミクスの継続」となり、「憲法」や「社会保障」などは聞こえて来なかった。
都知事選は、本来は都政の重要な争点である「政治とカネ」や「都政のあり方」のはずが、なぜか「都議会のドン」を批判した候補者が当選してしまう。

東京都は、石原都政以降、ハコモノ行政に先祖がえりし、確かに大型地下高速道や環状線、地下鉄などには予算が充てられたが、福祉や教育といった分野の予算が削られ、生活保護などは隣県である埼玉や神奈川の役割になってしまっている。
公共事業と財界と自民党というもたれあいの関係は、ずっと赤字国債の原因であり続けたし、安倍首相になっても何も変わらず、質的量的緩和は単に大舞台のばら撒きと債務の先送りでしかない。
世界の民生産業の競争に敗北したエレクトロニクス産業を下支えするため、例えば不必要なマイナンバーなどが政策される。
マイナンバーの問題は、それを扱う自治体での漏洩が今後も予測されるのに、企業には大きな情報リスクが発生する点にある。
企業は、非正規~派遣~正規雇用という人員構成のなかで、機密管理を行っているが、やるなら全ての情報管理のセキュリテイは行政側のシステムでまかなうべきと考える。

責任を企業の実務現場に丸投げするのはやめてもらいたい。
巷間で語られる話として「役人天国」がある。
決して役人の仕事が天国ではないのだが、責任問題になると有耶無耶になる点がそれを意味する。
カネは取るが責任は取らないというほうが適当かもしれない。
失われた20年は25年になり、やがて30年になりそうだ。

一方、日銀資産の国債占有度はどんどん上がっており、2020年頃にはクリップポイントを迎える。
いいかげんばら撒き公共事業行政から、人への税配分を増やすときが来ている。
なんのために税金かという論点を抜きにして、今後の日本経済は語れない。
税金や社会保障負担が、国民総生産からの分配であることも忘れてはならない。
この差配は経済と表裏一体である。

国家行政組織法に基づけば、「予算と政策」は一体であり、本来、予算はその政策と使途を伴うことから、国民の知る権利に値するが、どこに使われているかが特別会計含め分からない。
これでは、私を信用しカネだけ出せと云っているに等しい。
最近は、特定秘密保護法なるものも出来て、その隠蔽体質が高まっている。
別に事業仕分けなどする必要もなく、国民に公開すればよいだけだ。
自民党になってからますますそれが後退している。

だが都知事選を見れば、「このひとはアカン」という人が圧勝したりする。
その背後には、やはり「非日常」のテレビという統治武器が隠されているのだろう。
ここを突破しなければならないと思う今日この頃である。






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