昨日、相対的過剰人口について書いた。
資本主義システムの行き着く先が金融資本であり、それは過度集中を創出する。
日本では、相対的過剰は「非正規雇用」の増大となって顕在化している。
今後も現状の政治、とりわけ安倍首相による新自由主義的経済を推し進めれば推し進めるほどに、その傾向が顕著になる。おそらく年金や医療や生活保護は年々厳しくなって行く。
これまで保険料を上げ、消費税を上げたが、税収や保険料収入は横ばいに終始し、いわゆるワニの口は広がる一途にある。聞くと更なる増税や社会保障の削減が必要やに聞こえる。ここにウソが隠されている。
日本を代表する大企業とりわけ経団連所属企業は、巨額の付加価値生産を得ながら、税金はなかには1%以下という企業さえある。
そのからくりは、配当金課税や租税特別措置にある。
経団連が消費税に賛成するのは、消費税が儲かる仕組みであるからに他ならない。
なるほど、企業が強くなるのは悪いことではない。
世界的競争もあるからだ。
しかし、その本拠地が貧しくなって(相対的過剰によって)行くのは、決して社会的に良いことではない。
自然循環が阻害されるからだ。
我々はこう指摘する。
1)国民は生活保護の適用を受けることを除けば、誰もが明日の活力を得られる賃金を得られるようにする必要がある。
2)所得(個人所得、法人所得ともに)には課税され、その税や保険料は1)のために費消されなければならない。
金融資本は、機械文明の帰結であり、モノの生産は今後も高度化して行く。
生産はより賃金が安いところを求めて移動し、いままで中国だったものがアセアンへと移るだろう。
ここにきて英国は、法人税17%を云いだした。
EUの富をオランダを超えて集めようとの目論見だ。
ドイツはこれを許容しない。どうなるか。
日本では配当金が非課税ないし軽減税とされている。
だがこれにも課税する必要がある。
一方、モノ生産の過剰状態による労働力の余剰は、サービス(役務)に転換されて行く必要がある。
農業→工業→サービスという社会産業形態の変遷である。
このサービス産業は、賃金が競争に晒されやすく、そこに数量的規制(合理的な)が必要になる。
政府が財政出動(政府支出)で支えるには限界があるから、需要に対する供給を制限する。
そのうえで社会保障に従事する労働者への保護や賃金を支援する。
一見すると、大企業はすべからく例えばシンガポールなどに移転すると云うだろうが、最終的に日本に居住し、それなりの暮らしを営むには、所得が必要になる。
政府支出で食べている企業の本社が海外移転では理解が得られないだろう。
その税金(政府支出の)は国民の血税=労働力の対価そのものであるからだ。
国内で稼ごうが、国外で稼ごうが「所得」に課税する。
仮に外資に転換する企業あれば、政府支出の中心から追い出し、新聞が書き立てればよい。
結果、競争能力は失われず、かつ、肥沃な「需要土壌」が生まれる。
なぜ需要がないのか。
それは金がないからである。
もし適切に循環する社会システムが機能すれば、おそらく産業は多様化して行く。
この多様化こそが重要なのだ。
なお我々は、昨日書いた簒奪経済は、反社会的勢力に等しいとの認識だ。
このようなゼロサムの勢力は排除されるべきである。
公務員の天下りは不正の巣窟であり、日本的越後屋システム(最近は米国でも流行る)を助長するから、むしろ退職金報酬等を大きくして解決してしまうべきである。
職能性と職階性には、人事で差配されていると見れば、どちらでもよい。
新しい思想は、国が富むこととは、国民が富むことだということを保障することにある。
それが需要を創造し、活力ある循環社会と多様化を生むことになる。