相対的過剰人口(資本の有機的構成の高度化が資本蓄積の多くの局面で進むことにより、可変資本で購入する労働力の一部が過剰なものとなる。こうしたプロセスによって生み出される失業者を、相対的過剰人口という。)が広がっている。
端的に云うと、社会産業の機械化が進むとともに、労働力の過剰供給状態が創出されて行くことになる。
銀行資本と産業資本は徐々に相互利益を求め合従連衡を繰り返しながら、やがて一体化した金融資本へと収斂して行く。
機械は巨大化高度化し、それには巨大な資本投下が必要になるからに他ならず、そうして創出されたシステムは、圧倒的な競争力を有するようになり、他産業を圧倒していく。最も顕著なものとして、株式やFXなどの金融市場が挙げられる。
既に今日の金融取引は、HFTという手法が主流で、その中心は例えば東証のデータセンター内に立ち並ぶ超高速コンピュータ群による取引を指す。大手ヘッジファンドなどの投資企業から委託を受けたHFT業者は、これらのコンピュータを駆使し、1万分の1秒単位で売買を繰り返す。
勝敗は、30日でわずか1日負ける程度、殆ど負けることは無い。
対し、一般の投資家は証券会社のオンラインシステム又は電話となる。
これでは最初から如何なる局面でも勝てない。
電子産業もまた、EMS企業が巨大化し、圧倒的なコストと品質と供給能力で市場を席巻する。
ホンハイはそのような企業の代表だが、こちらはむしろ労働コストを武器とするアセンブリ能力の供給にある。
そのようにして創出される供給力は、例えば日本企業が束になっても適わないレベルになる。
そして市場を席巻したその社会産業は、当該分野の支配を深め、同時に市場から労働力を奪っていく。
結果、社会には過剰供給状態が生まれる。
日米欧の不況の原因にして病巣である。
仮にこれに規制で対抗しても、世界の市場を席巻されるだけであって、真の競争力を創出する以外にこの問題から脱出する方法は無い。
だがこの究極の姿、すなわち社会は、相対的過剰人口を大きく広げることになる。
労働組合も無力である。
これに対する解は、なぜ自然は多様性に満ち満ちているかということになる。
それには、目前にある消費強要社会の本質そのものを見直すことから始めなければならない。
目前の機械(商品)が「俺が優れている、利益になる」と主張するそのものを疑う必要がある。
いわく資本の意志が持つ「一統性」を疑えば、社会は自然のように収斂して行く。
みながスマホを持つのか、タブレットを持つのか、ガラケーでいいではないかなどだ。
これは文化であり、文化は生き残りのために重要なエッセンスである。
現実的に云うなら、HFT業者は、我々の年金を食いつくそう(簒奪しよう)とプログラムされているということだ。
そういう強さは、社会に必要であるかということだ。