日銀の総資産残高は既に本年3月末時点で名目国内総生産(GDP)の8割を突破している。
2割台の欧米中央銀行に比べて突出。
来年年度末には、わが国のGDPに匹敵する100%に達する。
日銀が政府発行の国債のほぼ8割を市中経由で買い入れ続けているためだ。
1万円札の製造原価は十数円と云われているから、一見するとぼろい儲けに見えるが、国債に対するセンチメントは大手金融機関で低下しており、これは先にも買いたが、最終的に日銀が買い入れてくれるだろうとの目論見で市中参加しているに過ぎず、その隣で1人でどんどん国債を引き受けているのが日銀というのが現実なのだ。
つまり100兆円という予算をつくる過程での日銀の行為が財政ファイナンスであることは確実で、既に通貨のモラルは壊れていると云ってよい。日本の通貨は「円」であるが、その「円」に対する信認が問題視される局面が必ず到来する。
A級戦犯は、黒田日銀総裁ということになり、安倍首相は逃げるだろうから、彼が責任を取って辞めるなりすることになる。だが日銀の金庫に詰まっているのが、国債の山ではどうしょうもない。
この問題は、必ず未来信用と未来利益の乖離の限界で破綻を惹起することになる。
ようするに、「これ限度を超えているのではないか」と誰もが思い始め、市中で預金(円)の信用が噂されるようになると危険な兆候となる。別に預金が減るわけではなく、その価値が変じるのである。
同じようなことが戦前の敗戦時にもあったし、幕末にもあった。
預金が消滅するわけではなく、封鎖された後に無価値同然になるのである。
そのとき引き出しはできなくなる。
金融機関は、殺到する預金者に対しシャッターを閉めて対応することになるが、暴徒となる者も出て、警察や自衛隊が出動することになる。いいかげんなことを続けていると必ずこうなる。
そういうことを見越して、様々な民衆統制法が出来るが、歴史的に持ったためしがない。
なぜなら民衆こそが国の基だからである。
民は、焼け野原から再び始めることになるが、もはや永田町や霞ヶ関の信用は消し飛んでいるだろう。
そうして民衆が起ち上がり、新しい国を叫ぶ。
残されるのは、民と陛下だけになる。
それを革命というなら革命かもしれないが、そうならないよう政治を転換すべきであると警告しておく。