三菱自工の燃費データ不正問題が発覚して以来、事態の転変が激しく、三菱自工の社員はもちろん三菱系企業社員も、いろいろと戸惑っている。不正問題の実態が新聞紙上で明らかにされるにつれ、三菱系企業社員の間では「三菱自工は三菱の恥」「三菱自工から三菱の名を外せ」とささやかれている。日産自動車との資本提携の話が出てからは、新聞の論調も少し変わったが、三菱系社員の怒りは収まらないようだ。
三菱グループ企業は、土佐藩士岩崎弥太郎が創業した三菱財閥の流れを汲む企業群であり、三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行、俗に三菱御三家と呼ばれる企業を中心にした、29の金曜会企業とそれらの関連企業からなる。しかし、金曜会企業間の資本的な結びつきは、戦後の財閥解体により意外と薄い。しかし、「組織の三菱」と言われるように、三菱系企業の社員間の同族(同属)意識は強く、結束も固い。
その結束の固さを示す例としてよく言われるのが、三菱系企業のパーティでは、ビールは必ず「キリン」という話である。事実そうである。唯一の例外は、アルミ缶事業を行っている三菱マテリアル社のパーティで、サントリーの缶ビールが出たことがあるという話である。だが、結束が固いと言っても、それは組織としての話で、個々人がどこのビールを買い、飲むかはまったく別の話である。
三菱自工は、三菱重工業の自動車事業部門が1970年に独立したものなので、売上高や従業員数など、事業規模は大きいのだが、金曜会メンバーの中では、社格が高い存在ではない。それでも重工の流れを汲むから、上から目線の企業である。三菱系企業社員への自動車販売で、上場企業と非上場企業社員の間に、ローンの金利に差をつけ顰蹙を買ったことがあった。そういうことが、こういう時に裏目に出てくる。
上から目線と言うよりもっと大きな理由がある。それは「三菱」ブランドを傷つけたことである。他の財閥系企業も同じだろうが、三菱○○社の○○の部分より「三菱」の方に三菱系企業の社員は誇りを持っている。「日本航空」と「日本新薬」とが同じ企業群だと見る人はいないし、仮に「日本○○」という企業が不祥事を起こしても、日本航空や日本新薬に何の影響もない。だが、「三菱」の場合はそうはいかない。
三菱系企業の商品で、いわゆる大衆商品として「三菱」マークをつけ市場に出回っているのは、三菱電機の家電製品と自動車以外にはほとんどない。それは三菱系企業の製品の大半が、他の企業の原材料や中間製品となっていることを意味する。従って、三菱○○社の取引先企業は、三菱自工と三菱○○社がまったく違う企業だと認識している。だから三菱自工の不祥事が、直ちに三菱○○社の取引に影響することはない。
それなのに今回、三菱自工に対する風当たりが強いのはなぜだろうか。三菱自工の不祥事があまりにも多すぎることがまず挙げられる。次に考えられることは、三菱自工の業界における地位である。金曜会企業の多くは、それぞれの業界でのリーディングカンパニーであるが、三菱自工は違う。トヨタの10分の1の規模でしかない。自動車産業がビッグビジネスだと言っても、三菱自工への風当たりが強くなるのは当然。
あとは三菱自工の歴史であり社風が挙げられる。三菱自工はアメリカのビッグスリーのひとつクライスラーと資本と技術提携した歴史を持つ。三菱グループ企業が外資と提携する時、ナンバーワン企業と提携する例は少ない。クライスラーはビッグスリーと言っても所詮第3位。この提携が成功であったか失敗であったかは、評価の分かれる所であるが、この提携が社風の形成に影響があったことは否めないだろう。
今回、不祥事が発生し、社長の相川哲郎氏が相川賢太郎元三菱重工業社長の息子と聞いた時、違和感を覚えた。相川賢太郎氏は重工中興の祖と言われる人物。三菱グループ企業では、社長や役員の子息は採用しないという不文律がある。自工は重工とは別会社なのでこの不文律には触れていない。だが、相川氏が若くして、社内でプリンスとか、社長候補とか言われていたと知って、さもありなんと思ったのである。
三菱系企業の人事では、商事や銀行の評判なども影響するという噂もある。相川賢太郎氏が三菱重工の中興の祖と言われ、重工の社長に君臨している。その時、重工の子会社の三菱自工内で、相川氏がプリンスとか、社長候補とか言われるようになった。三菱自工の歴代社長が重工出身者であった時代。自工内部に生え抜き社長への期待が大きかったが故もあるだろうが、そこに三菱自工の脇の甘さが出たのである。
相当古い話だから、今は、知る人も少なくなっているだろうが、三菱銀行と三菱商事で、次期社長本命と言われた副社長が外れ、意外な人物が頭取・社長になったことがあった。後に名頭取・名社長と言われたお二方である。企業は階層社会であるから、そのどこかで「溝」や「壁」ができやすい。それを作らないのが「組織の三菱」の知恵だと言われ、この三菱銀行と三菱商事の社長人事が語られていた。
組織の三菱には「カリスマ」は要らないということである。処で、19日の毎日朝刊3面特集記事に、「不正の温床となった企業体質を、今後どう改善していくかが問われる」とあり、社内に「物言えぬ風土がある」と書かれている。一般紙の経済記者にこんなことを書かれるようでは、社内に相当不穏な空気が流れている、と思われる。それは相川氏がプリンスとか言われたことと関係ない話ではない、と思うのである。
三菱自工に日産自動車が資本投入することが決まり、マスコミは日産の軍門に下ったとか、御三家の経営悪化により見放されたとか報じている。そういう見方を否定しないが、日産の出資比率は34%。過半数を制した訳ではない。また、重工が大型船事業で、商事が資源開発事業で、多額の損失を計上し、銀行もマイナス金利で収益環境が厳しくなったことを挙げているが、その見方は正鵠を射ているとは思わない。
大型客船事業の損失は、重工の造船部門にとっては大きな打撃だが、重工本体の経営を左右するものではない。商事の資源開発事業の損失は、簿価を引き下げただけで実損を出した訳ではない。将来に備えての「含み益」である。マイナス金利が銀行の収益に影響を与えるのは事実。だが、この愚策を止めさすには、マスコミがこのように報じてくれることが多いほどよい。銀行業界にとっては有難い報道なのである。
三菱自動車には5400億円の現金がある。だから支援すると言っても、倒産の危機に瀕している企業に資金援助をするのとは訳が違う。今回、御三家が見放したと言うよりは、戦前からある三菱6社の中の製造業である、重工、電機、鉱業(現三菱マテリアル)など、技術を売り物にする企業の技術陣から見放されたと言った方が正しいのではないだろうか。中でも、三菱重工の技術陣からであろう。
日本で「三菱」マークがよく知られるのは、日本人の多くが子供のころ「三菱鉛筆」を使うからである。三菱鉛筆は三菱グループ企業ではないが、品質優良な鉛筆を廉価で供給している。これで子供心に「三菱」マークに対する信頼感が植えつけられる。だが、海外ではそうは行かない。海外でスリーダイヤのマークが日本を代表する企業で、信頼するに値すると言われるまで、三菱の先人たちは大変な苦労をしてきた。
戦後、ソニーがトランジスターラジオやラジカセなど、超優良商品で世界を席巻し、日本を代表する企業として認められたが、三菱グループには、そういう商品はない。アメリカのウェスティングハウス社が、戦時中に敵国資産として没収されていた資産を、技術提携していた三菱電機が戦後100%返還した。以来、ウ社の三菱に対する信頼は一層強まったという話がある。こういう話の積み重ねで築いた信用である。
戦前は、外国企業との提携といえば技術を導入することであった。三菱は教えてもらう立場である。技術導入により物真似商品を生産するだけでは、決して提携先企業の信頼を得ることはできない。ウェスティングハウスと提携した三菱の原子力事業は、ウ社製の原子炉や原子燃料を凌ぎ、信頼性はウ社製品より高いとまで言われていた。三菱がナンバーワン企業と提携しない理由は、こういう所にあるのだろう。
こういう内なる努力の積み重ねで以って、世界でスリーダイヤのマークに対する信頼をかち得てきた。そういう先人の苦労を知る三菱マンにとって、「三菱」ブランドを傷つけることは黙視できないことであろう。週刊新潮の取材に対し、相川賢太郎氏が「燃費不正問題は、愛社精神が少し行き過ぎた程度の問題」と述べたそうだが、そういう考えは、世間はもちろん、三菱系企業の中でも、今は通用しない話である。
三菱自工は、第三者委員会を設置し、中立、かつ独立の立場での調査をするという。だが、相川賢太郎氏が相談役としている重工の技術陣が、たとえ三菱自工を見放しているとしても、第三者委員会に入れば、社会は中立・独立とは見なさない。三菱と提携する日産の技術者も同じである。また、第三者委員会の活動費用を三菱系企業が負担する限り、第三者とは誰も言わない。三菱グループにとっても正念場である。