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「結果無価値」と「行為無価値」

価値とは、刑法が守ろうとしている利益です。行為がその利益を無にするから悪いと考える立場=行為無価値、結果がその利益を無にするから悪いと考える立場=結果無価値です。といっても、わけわかんないと思うのでザックリ両説の考え方を整理すると次のようになります。

まず、行為無価値は行為こそが刑法の守る利益を無にする悪いものですから、これが検討の対象になります。例えば、ある人が殺された場合、別の人の殺す“行為”があったからこそ結果が生じたんだと考えます。そして、そうであれば何故そのような行為が起こったのかを解明すればいいんだ、と考えます。

となると、当然行為者の主観とかも考慮して考えることになります。行為者は○○と考え、○○という意思を形成し、だからこそ行為を行ったんだと考えていきます。時間軸でいえば、時間が進むように考えるのが行為無価値です。

これに対して、結果無価値というのは、結果こそ悪いのだからこれを検討しないわけにはいかないと考えます。先の例でいえば、人が死んだという結果に着目し、ではその結果は誰に帰属させるべきなのか、というように考えます。そして、客観的にみて“悪い行為”があって結果が発生したのであれば、その行為に帰属させるべきだと考えます。

行為者がどう思おうと、客観的にみて“悪い行為”であるのに変わりはないですから、結果を行為者に帰属すべきという判断に影響はありません。

つまり、結果無価値とは、行為者の主観は基本的に考慮しない立場とも言えます。また、結果から考えるので、時間軸でいえば時間が逆行するのが結果無価値です。
もっとも、行為無価値と結果無価値の対立は現在では相対的なものとされていますから、あまり意識する必要はないように思います。